世間並みの幸せなんて無理な話だった

いちばん暗い夜明け前にうたうブログ 走っても走っても私の夜が明けない(椎名林檎に非ず) ※別名義のツイッターアカウントはhttps://mobile.twitter.com/sigure_aki (主に短歌をつくっています)

結婚はもはや制度疲労している

「男女が結婚し、こどもを産み、育てあげる」ことが、現代の日本では困難をきわめている。

 

今の若年層の年収は、平均して低い。

 

こどもを育てようとしても、その世代の両親が、その世代にしてくれたようなこと(たとえば、私立に通わせ、いろいろな習い事をさせ、大学までやるというようなこと)が満足にできないのではないか、と思うほどに。

 

過去、男性の稼ぎがよく、女性は専業主婦が当たり前だったような時代とは、もう、明らかに状況が変わってきている。今は、共働きはあたりまえ、それでもなお、先が見えず、収入もさほどではなく、こどもを育てるには日本の未来は暗く、そして、こどもを育てる母親への当たりはきつい。

 

もっと言えば、はたらく女性への要求が過剰だ。

 

はたらけ、結婚をしろ、こどもを産め、家事をしろ、年上の男性には従順でいろ、おとなしくあれ、と、どこまでも過剰だ。現在の少子化傾向は、あきらかに、過去の政治家の政策的な失敗によるものだ。そのリカバリーをなぜ、今を生きる若い世代の女性が、当時の政策的な失敗にはなんの責任もない女性たちが行わなくてはならないのか?

 

単に産む性別だから、という言い訳はナンセンスだ。さて、こどもを産むのは確かに女性だが、こどもを「産ませる」のは誰だろう? 男性だろう? わたしは、「もっと産んでくれないと」という言説に果てしない違和感をもっている。正確には、「もっと俺達の奴隷になってくれないと。はたらいて、稼いで、こどもを育てて、めんどうなことは女がやってくれよ、どうせたいした役にたたないんだから、それくらいは」と言いたいのではないか、と疑問をもつ程度には。

 

女性が女性として生きるだけで、困難を伴う。政治家の大半は男性で占められている。女性の声は、だいたい届かない。

 

就職差別も依然としてあるだろう。そして彼らは言うのだ。「女はいいな。アファーマティブ・アクションだか、女性活躍推進だかで優遇されて」と。

 

違う。今までずっと、下駄を履かされてきたのは男の方だ。男だから、家族を養わないといけないからといって、優先的に採用されてきた。女は、いずれ結婚してやめるから、と平気で切り捨てられ、後回しにされてきた。

 

だから私は日系企業を見捨てた。外資系企業へと身を寄せた。そのうちに、日本も見捨てるかもしれない。それほどに、この現状はひどい。きわめて内向きで、男同士の馴れ合いが蔓延し、優秀な女性を排除する、それがあたりまえの空気に嫌気が差した。

 

老人の、老人による、老人の政治はいつまで続くのだろう? 若い世代の女性は、これ以上、どこまで搾取されないといけないのだろう?わたしたちは、先の世代の失敗のツケを払わされながら、どこまで踏みつけにされないといけないんだろう?

 

頭も鈍り、判断力も落ち、現実も見ない、醜く愚かな政治家たちが牛耳るこの国に、どうやって希望を抱けというのだ?

 

こんな国で、希望をもってこどもを育てるなんて、無理だ。すくなくとも、現在の平均的な男女が金銭的にも苦しみながらこどもを育てるには、かなりタフな状況にあると言わざるを得ないのではないか。

 

だれもがこどもを育てられるようにすればいいのに。だれでも好きな人と、ゆるやかに家族になれれば良いのに。親友とペアになったり、好きな人達のペアに交ぜてもらったり、ふたりだけではなく、三人でも、四人でも、好きなようにあたらしい家族のカタチをデザインできるような制度があればいい。同性婚だって、集団婚だって構わない。だって明らかだろう? 男性と女性のペアではこどもを育てるには金銭的にきびしいのならば、それ以外のペア、男性と男性、女性と女性、それにこだわらず「仲のいい人たちで家族を好き勝手につくり、養子をもらい、育てあげる」ほうが理にかなっているのではないかと思う。

 

男性と女性の結婚は、つまり、「他人同士が家族になり、税制面等で優遇されながら、合理的にこどもを育てるには、男性と女性が結婚する以外にあまり手段がない」という現状は、もはや制度疲労している。

 

伝統的家族観に囚われる保守的なひとびとからすれば、卒倒するような意見かもしれない。だが、たかだか数十年前には、「こどもは地域で育てるもの」だった。大きな、疑似家族がこどもを育てていたのだ。それを現代日本に、制度的に復活させたところで、なんの支障があるというのか。(もちろん、性的虐待や人身売買等、負の側面には十分に配慮しなければならないが。)

 

変化がこわいんだろう。知ってるよ。女性が優秀で、男性の仕事を奪っていくのも怖いんだろう。女性を家庭に縛り付けて、あくまで軸足を家庭に置かせておいて、仕事はあくまで「家計の助けになる程度」にさせておかないと、こわいんだろう。そうこわがらなくても、いいよ。なぜならば、男性でも無能なものは無能であり、優秀な女性の有無にかかわらず、相変わらず無能だからだ。それは、無能な男性の問題に過ぎない。たしかに、無能なものは集団から排除されるかもしれない。ただその集団で排除されるというだけで、他の場所に行けばいくらでもやりようはあるし、それを過剰に恐れなければいいだけなのだと思うんだけど、どうだろう。

 

もう少し柔軟な社会になればいい。「こうあるべき」「ああすべき」「こうでなくてはならない」と、ただ漫然とつづいてきた習慣や、常識とされている悪弊にしばられてしまうと、きっと、この国は死ぬ。いや、もう、死につつあるのかもしれないが。