世間並みの幸せなんて無理な話だった

いちばん暗い夜明け前にうたうブログ 走っても走っても私の夜が明けない(椎名林檎に非ず) ※別名義のツイッターアカウントはhttps://mobile.twitter.com/sigure_aki (主に短歌をつくっています)

「夜道に気をつけてね」というワードの違和感について

 

今回はごく短く、
「夜道に気をつけてね」という言葉の違和感についてお話ししたいと思います。

 

否応無しに「弱者である、性的対象とされる存在である」ことを
思い出させるワードだからこそ、違和感があるのではないでしょうか。

 

 

それまで、ただふつうの人間同士として楽しくお話ししていたはずが、
急にそんなニュアンスを含む言葉を投げられると、位相がズレ、
また自分の領域に侵犯されたような気分になる。

 

私たちは人間として生きている以上は、自分自身の視点はあくまでも
あくまで「自分の内側」です。

 

それが急に、外部の視点を押し付けられる。
「お前は弱くて狙われる、襲われる対象の女だから」と暴力的に突きつけられる。

 

男性には分かりにくいかもしれませんが、
急に職質を受けた状態に近いのかもしれませんね。

 

【職質の場合】


自分視点の「カメラ」では「ただ街を歩いていた」だけなのに、
外部の視点(怪しいやつかもしれない、という暴力的なもの)を唐突に突きつけられる。
しかも相手には国家権力の後ろ盾があり、自分自身は逆らえない、
逆らったら何をされるか分からない、という不快感と恐怖感がある。

 

これを「夜道に気をつけてね」に置き換えると、

 

【夜道に気をつけてね の場合】


自分視点の「カメラ」では「ただ人と交流していた」だけなのに、
外部の視点(弱く、性的対象であり、襲われる可能性があるという暴力的なもの)を唐突に突きつけられる。
しかも相手には男の筋力という力があり、自分自身は逆らえない、
逆らったら何をされるか分からない、という不快感と恐怖感がある。

 

まとめるとこんな感じかもしれないですね。

少し大雑把だったかもしれませんが。

さて、もちろん「夜道〜」のワードを使う皆様に他意はなく、ありがたいことに、
ただ純粋に心配してくれているだけだということは分かっています。

ただ、なぜ拒否反応を示す人が出るのか、ということを分析すれば、
こんなところではないでしょうか?